Raison d'etre 1章07話

 午前十一時。亡霊対策室中枢エリアの廊下。
 療養から復帰して一日経過し、優は入隊後の初級訓練カリキュラムを消化する為に第二特別室に向かっていた。
「ここでの生活はもう慣れたか?」
 隣を歩く斎藤準さいとう じゅんが言う。優の知り合いの中では唯一の男性で、奈々の個人的な知り合いでもあるらしく、入隊当初から本部内の案内をして貰っていた。まだ本部内の構造が良く分かっていない為、今もこうして案内をして貰っている。男性の知り合いを作りづらい環境であった為、奈々が準を案内役として紹介してくれた事に内心感謝していた。
「はい。ようやく慣れてきた感じです。でも、まだ友達とか少なくって、まだまだかも」
「やっぱり、やりづらいだろ? 学生時代の友人に元女子高に入った奴がいたんだが、肩身が狭いと嘆いていたよ」
「ええ。何と言うか、場違いな気がしますね。一番困るのは男子トイレが寮棟にないことです」
 準は小さく吹き出した。
「そりゃそうだ。ただ、桜井なら女子トイレに入っても誰も気づかないかもしれん」
「それ、どういう意味ですか。チビってことですか」
 準の言葉に、優は不機嫌そうな表情を浮かべた。
「そのままの意味だよ。さて、着いた」
 準が足を止める。第二特別室と書かれたプレートと、横開きの白い扉があった。
「頑張ってこい」
「はい。案内、ありがとうございました」
 頭を下げる。次いで扉に手をかけると、音もなく扉がスーと開いた。中にいた数人の少女から視線を向けられる。
「あ、桜井くん、入って入って!」
 その中の一人、篠原華が声をあげる。知り合いがいた事にホッとして、優は第二特別室の中に足を進めた。
 特別室は大学の講義室のように前方に大きな黒板があり、その前に長机が並べられてる。部屋の中には二十人ちょっとの女の子がいて、三から五人ほどのグループに分かれて疎らに座っていた。
「適当なところに座って」
 華が言う。どこに座ろうかと優が部屋を見渡した時、部屋の前方に座っていた一人の少女が後ろの空いてる席を叩いた。
「ここ座ったら? 適当にって言われても困るでしょ」
 優は頷いて、示された席に向かった。その間、部屋中の視線が集中して、僅かに居心地の悪い思いをした。
 優が席についた瞬間、前方の少女が身を乗り出し、口を開いた。
「私、長谷川京子(はせがわ きょうこ)。よろしく! あんたと同じ第一小隊の、ってか、ここにいるの皆第一小隊の子だけどさ」
 そう言って、京子と名乗った少女は自身の隣にいる大人しそうな少女を指差した。
「こっちは宮城愛(みやぎ あい)。ちょっと無愛想だけど、悪い子じゃないから」
 愛と紹介された少女が振り向く。
「……よろしく」
 抑揚のない声でそう言った後、愛はすぐに前方に向き直った。
「ね? 無愛想だけど、誰にでもこんな感じだから気にしないで」
 京子が笑いながらそう言う。隣の愛は何も言わなかった。対象的な二人の様子に思わず優はクスりと笑みを零した。
「よろしくね。えっと、長谷川さんと宮城さん」
「はい、お喋りストップ! 説明始めるよ!」
 黒板の前に立つ華が声をあげる。京子は仕方がないといった様子で前に向き直った。
「入隊して十日間は専門の教育部隊の人が色々と教えてくれたと思いますが、それ以降は各小隊で細かなケアをする事になってます。それで、小隊長の私が実戦の細かな注意とかすることにしました。対象は桜井くんと柚子ちゃんだけなんだけど、この教室で二人だけってのは寂しいから、交流を兼ねて暇な人に来ていただきました。何か分からない事とかあれば、私だけじゃなく、周りの人にも遠慮なく聞いてください」
 華はそう言って、黒板の方にクルリと向き直った。チョークの音と共に、黒板に何か書き始める。
「まず最初は集団飛行! 戦闘は一人では出来ません。強大な亡霊群の前には一人一人の細かな飛行技能なんて意味を成さないのです! よって指示された隊列を乱さず、維持する事が最も大切です。その為には――」
 華が説明を始める。その多くは入隊直後に教育部隊の人から教えてもらった事の復習に近いものだったが、実戦的な視点から語られるそれは無駄のないものだった。優は実戦での事を思い出しながら、華の話に真剣に耳を傾けた。

「――つまり、空戦機動とは何かと言うと運動エネルギーと位置エネルギーの変換であり、このエネルギー変換に対する長期的なプランが戦闘に大きな影響を与えるのです。加えて、私達はESPエネルギーの残量とそのコストを考えていかなければいけない。飛行訓練の時には是非この話を思い出して訓練してほしい、と思う次第です。えっと、えっと、次は――」
「……華、時間」
 話の区切りがついたところで、優の斜め前に座っていた宮城愛が声をあげた。あまり大きな声ではなかったが、よく通る声だった。華が室内の壁にかけられた時計に目をやり、しまった、という顔をする。
「わっ、もうこんな時間……。じゃあ、今日はここまで。続きは明日、ここと同じ場所で。桜井くんと柚子ちゃん以外も暇な人は来てね!」
 華の言葉が終わると同時に、室内が騒がしくなる。いつの間にか机に突っ伏していた京子が顔をあげ、大きく欠伸した。そこに黒板の文字を消し終えた華が駆け寄ってくる。
「ちょっと京子、堂々と寝すぎだよ」
「だって私、この話何回も聞いてるし」
 京子があっけらかんと言う。華は困ったような笑みを浮かべて優に視線を移した。
「桜井くんは京子みたいにならないでね」
「がんばります」
 優はそう言って頷いた。
 喧騒の中、京子の横に座っていた愛が立ちあがる。
「……そろそろ合同訓練の時間。早く行かないと遅刻する」
「だね。さっさと行こうよ」
 京子が立ちあがる。次いで、優の方を見やった。
「桜井も一緒に来なよ。場所、わからないでしょ?」
「うん。案内してもらえると凄い助かるかな」
「オッケー」
 京子が戸口に向かう。その後に愛が続き、最後に華と優が続いた。
「最後にここ出る人、鍵閉めて後で私に渡してね!」
 第二訓練室を出る際、華が室内に残った女の子たちに向かって声を張り上げた。中からそれに了承する返事が疎らに返ってくる。
「小隊長って大変そうだね」
 優が思った事をそのまま口にすると、華は小さくはにかんだ。
「確かに大変だけど、信頼されてるって事だからちゃんと応えないとね。責任は果たさないと」
 同い年には思えないほどしっかりとした答えが返ってきた為、優は思わず華の顔をまじまじと見つめた。
「篠原さんはここに来て結構長いの?」
「もう二年目だよ。それと数ヶ月かな」
 と言う事は、十四歳の頃から亡霊と戦っていたと言う事になる。
「ここに来た時は不安で一杯だったけど、周りが良い人ばかりだったからすぐ慣れちゃった。桜井くんもすぐ慣れるよ」
 華はそう言って笑みを浮かべた。釣られて頬が緩む。
「そうなれるように努力します。篠原小隊長」
 ふと視線を華から前方に移すと、京子が足を止めてこちらを急かすように手招きしているのが見えた。その横に立つ愛も無言で優たちが追いつくのを待っている。それを見て、優はこれから先も亡霊対策室で何とか上手くやっていける気がした。

 次の日。優は野外に設置された第一訓練場の中を走っていた。訓練場と言っても、特別な訓練施設がある訳ではない。ちょっとした平地に壮大な原っぱが広がっているだけだ。本来なら大規模飛行訓練に利用する訓練場らしいが、今日は基礎体力訓練の為に使われていた。
 寒空の下、原っぱに複数の足音と荒い息遣いが静かに響く。優は背中に機械翼を広げ、両手で小銃を構えて原っぱの上を走り続けていた。その前後には優と同様に機械翼や小銃、通信機などを装備した少女たちが黙々と走り続けている。特殊戦術中隊の基礎体力の向上を目的としたランニングだ。陸上自衛軍ほどの厳しい訓練ではないが、特に優は男性であるという理由で他よりも厳しいノルマが課せられている。優は体力の配分に注意を払いながら、原っぱの上を走り続けた。背中に装着した機械翼がずっしりと圧し掛かってくる上に、両手に持つ小銃のせいで腕がだるくなってきていた。中学の時に軟式テニスをやっていた為、体力にはそこそこ自信があったのだが、予想以上に厳しい訓練だった。
『後五分』
 通信機から奈々の感情の籠らない声が届く。
 荒い息を吐きながら、酷い筋肉痛になりそうだなぁ、とぼんやりと考えていた時、後ろから声がかけられた。
「君、入ったばかりにしては結構体力あるね」
 振り返ると、長い黒髪が印象的な長身の女性が走っていた。大人じみた造形をしているが、親しみやすい笑みを浮かべている為、それほど歳が離れているようには見えなかった。
「えっと……」
 優が困ったような表情を浮かべると、女性はクスりと笑った。
「ボク、第四小隊長の黒木舞くろき まい。君、新しく入った子だよね」
「はい。第一小隊に配属されました」
 走りながら答える。ボク、という一人称に違和感を覚えたが、一定の速度を保つために気にしている暇がなかった。
「名前、何だっけ?」
「桜井優です」
「ユウくんか。呼びやすいな」
 いきなり名前で呼ばれ、優は僅かに眉を寄せた。距離を感じさせない話し方だ。悪く言えば、馴れ馴れしい印象を受ける。新入隊員を気遣ってくれてるのかな、と優は舞の態度を好意的に受け取った。
『舞、マイクの電源を切り忘れているようだけど……』
 通信機の向こうから奈々の声。舞はギョッとした様子で慌ててマイクを切った。
「やっば……これ、よくやっちゃうんだよね」
 慌てた様子で奈々のいる本部の方を振り返る舞の姿がおかしくて、優はクスクスと笑った。大人びた外見とは裏腹にどこか子どもっぽい人だと感じた。
 それから、優は舞と小声で会話を交わしながら残りの時間を潰した。舞は優の一つ上で、今年で十七歳らしい。
「もう少し年上かと思ってました」
 素直にそう言うと、舞は目を何度か瞬いて、次に意地の悪い笑みを浮かべた。
「逆にボクは君の事、もっと年下かと思ってたよ」
 優は何も言わず、じっと舞の瞳を睨みつけた。舞が笑う。
「良くて十四歳くらいにしか見えないかな。ユウ君、一四〇センチくらいしかないでしょ?」
「一四五センチです」
 不機嫌そうにそう言うと、舞は再び笑った。
「ごめん、ごめん。もしかして結構気にしてた?」
「気にしてません!」
 そう断言した時、警笛の高い音が鳴り響いた。次いで、通信機から奈々の声が届く。
『訓練はここまで。突然止まらない事。各自、身体を解してから各小隊ごとに点呼をとって』
 どうやら終わりのようだった。優は小銃を投げ捨て、その場に倒れ込んだ。背中の機械翼が重い。しかし、取り外す作業が非常に面倒である為、優は機械翼の存在を無視する事にした。
「はぁ、ようやく終わった。ボク、点呼取らないといけないから行くね」
 舞が乱れた息を整えながら言う。優は原っぱの上に座り込みながら舞を見上げた。
「はい。お疲れ様でした」
「じゃあね!」
 舞が背を向けて本部の方に歩いていく。優は足首を何度かマッサージした後、ゆっくりと立ちあがった。まだ息があがっていたが、いつまでも休んでいられない。第一訓練場の本部側に向かい、第一小隊が集まっている場所を探した。数か所に分かれて人が集まっていたが、どれが第一小隊の輪なのかよくわからなかった。
「桜井、こっちこっち」
 京子の声。優はすぐに京子の姿を見つけ、傍に駆け寄った。
「あ、桜井くんも来たね。各分隊で欠員いない? 大丈夫?」
 中心に立っていた華が周囲を見渡しながら声をあげる。数人の少女が、大丈夫、と言葉を返した。
「よし、じゃあ解散!」
 華が宣言した途端に周囲が騒がしくなる。シャワーを浴びに本部へ戻ろうとした時、京子に呼び止められた。
「桜井、最後までペース落ちなかったね。何かスポーツやってたの?」
「軟式テニスを少しだけ」
 ふくらはぎを片手で揉みながら答えると、京子は小さく笑みを零した。
「ロブ打たれたら終わりじゃないの?」
「……似たようなこと、黒木さんにも言われたよ」
 多少不機嫌そうに答えると京子は、やっぱりね、と言った。
「体重どれくらい?」
「四十」
「うわ、反則じゃない、それ?」
 京子が呻く。優はクスりと笑った。
「今日みたいなランニングって今までやった記憶ないんだけど、毎週あるの?」
「週一かな。今は地上戦とか殆どやらないから、最低限しかやってないよ。射撃訓練と飛行訓練の方が大事だしね」
 基礎体力訓練を軽視しているというよりも、実戦重視という印象が強い。優は頷いて、足首を軽く回した。疲労が溜まって奇妙な脱力感が抜けない。
「京子、私先に帰ってる」
 横から宮城愛の声。振り返ると、相変わらず無表情な愛と目があった。
「あいあい。お疲れ様」
 京子が言う。優も、お疲れ様、と短く言葉を返した。愛は一度だけ小さく頷いて、本部に戻っていった。それを見送ってから、京子が大きく背伸びした。
「私もそろそろ戻ろっかな。シャワー浴びたいし」
 そう言ってから、京子が訓練服の首元ををパタパタと煽ぐ。
「だね。僕も戻るよ」
 優も賛同し、背中に担いだ機械翼を外す為に大きく身体を捻った。それを見ていた京子が口を開く。
「外してあげよっか?」
「うーん、じゃあお願い」
 一瞬だけ迷った後、優は素直に京子に背中を向けた。
「オッケー。じっとしててね」
 カチャカチャと金具を外す音が背中から響く。優の何倍も手際が良かった。あっという間に背中部分の固定装置が外れる。
「ちょっと手、回すよ」
 京子の手が後ろから腹部に伸びてくる。後ろから抱きつかれているような格好になり、優は僅かに気まずい思いをした。
「はい、終わり」
 小気味良い金属音とともに機械翼が取り外される。身体が軽くなり、奇妙な浮遊感に襲われる。
「ありがと」
 取り外した機械翼を京子から受け取り、優は笑みを浮かべた。
「じゃ、戻ろっか」
「うん」
 横に並んで本部に向かう。その時、背後から華の呼び声が届いた。
「京子、待って! 私も一緒に行く!」
 振り返ると、こちらに向かって華が走ってくるのが見えた。優と京子は立ち止まって、華が走ってくるのを待った。
「報告終わったの?」
「うん。ばっちり」
 京子の問いに華が笑顔で答える。
「神条司令の注意が黒木さんに向いてたから、報告早く終わっちゃった」
「黒木さん、毎回よくやるなぁ……」
 京子が呆れたように呟く。マイクを切り忘れていた事に対してだろう。毎回、という言葉が気になって優は首を傾げた。
「黒木さん、ああいうの良くやっちゃってるの?」
 華が苦笑して頷く。
「うーん、何て言うか、結構訓練サボっちゃったりとか、会議中に寝ちゃったり色々しちゃってるから。でも、面倒見良くて凄い良い人だよ」
 そんな人が第四小隊長で大丈夫なのだろうか、と微かな不安を覚える。しかし、それを補う程の何かを持っているのだろう、と優は解釈した。
 冷たい風が吹く。うう、と華が小さく呻いて身を抱いた。汗を大量にかいていた為、秋風が凍えるように冷たく感じる。優達三人は他愛のない雑談をしながら、急いで訓練場を後にした。


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