Raison d'etre 2章19話
凛の後を追いながら、ふと思い出す。昔見たホラー映画だ。誰もいない街の中、良くわからない怪物に追いかけられ、出口のない街の中を逃げ続ける話。
たしか、結末はバッドエンドだった。
小さい頃に見た映画だ。今はもはや、タイトルも思い出せない。
何故今になって、そんな事を思い出したのか分からない。
霧の中をあてもなく駆けながら、何故か懐かしい気持ちがした。
奇妙な見覚えがあった。
亡霊の群れの中、地上を必死に走りながら記憶の糸を辿る。
しかし、明瞭な何かを掴む事は出来ず、ぼんやりとした既視感だけがあった。
目の前を駆ける凛が大出力のESPエネルギーを放ち、目の前に現れる亡霊を吹き飛ばしていく。
瞬間的なESPエネルギー量では優の方が数値は高いはずだった。しかし、実戦で見る凛の動きは、優の素人じみた動きとは一線を画すものだった。
殆ど凛一人で亡霊を殲滅しながら、突破口を探して走り回る。
「待って。空から次々来てる!」
京子の悲鳴。
空を見上げると、霧の中にいくつもの影が浮かんでいた。優たちを追うように、一定の高度を保ったまま追跡してるようだった。
「これ、逃げ切れないかも、しれないです!」
麗が息切れしながら叫ぶ。
しかし、足を止めるわけにもいかない。足を止めればたちまち包囲されるのは明白だった。
曲がり角を曲がる。
目の前に数人の影が見えた。十人近くの人間だった。
その中に、見覚えのある人物がいた。
「華ちゃん!」
優が叫ぶと、集団を率いていた華が振り返った。
「篠原! 亡霊の集団が来てる! ここで迎え撃つぞ!」
凛が叫び、華と並ぶように足を止める。
優も一足遅く、華たちの前で立ち止まった。
息切れして、喋るどころではなかった。
肩で息をしながら、後ろから追いついてくる京子と麗の姿を確認する。
「篠原、上だ。援護しろ」
凛が叫びながら、上空に容赦ないESPエネルギーの波を放つ。
上空に見えた機影が凛の攻撃を避けるように高度を上げて見えなくなる。
優も右手を空に向け、ESPエネルギーを無差別に放った。
その後ろから、華の冷静な声がした。
「ダメだよ。撤退しないと」
どこか場違いな、のんびりとした声だった。
「だって攻撃命令は出てないよ」
違和感。
振り返ると、華は右手の指揮灯をくるりと回して周囲の少女たちに後退命令を出しているところだった。
「華ちゃん。向こうからかなりの数の亡霊が来てる。逃げ切れないと思う」
「桜井くん。神条司令は撤退命令を出してたよ」
華はそう言って、首を傾げた。
優は攻撃を止めて、華を見つめた。
強い違和感があった。
「華ちゃん? 神条司令と通信出来たの?」
「今は出来ないよ。でも最後に届いた命令は撤退命令だったよ」
僅かな沈黙。
華が補足するように言う。
「優くんが落ちていった後、神条司令はこう言ったんだよ。総員、全力撤退。戦闘区域からの離脱を命じるって」
すぐ横で、上空に向かって牽制攻撃を続ける凛から発光と轟音が響いていた。
その中、華はひどく落ち着き払った様子で奈々からの命令を復唱してみせた。
ひどくアンバランスな光景だった。
何かがおかしかった。
「篠原! 何をしている! さっさと援護しろ!」
凛の怒鳴り声。
それに対して華は小首を傾げて、困ったように笑った。
「白崎さんには高出力のエネルギーで霧を吹き飛ばす命令が個別に出ていたけど、私たちは撤退命令が出ているから」
だから、と華は背を向ける。
「私たちはここを離れないと。白崎さんも気をつけてね」
華はゆっくりと歩き出し、それから周囲の少女に着いてくるように指示を出す。周囲の少女たちはそれぞれ顔を見合わせた後、華の命令通りに集団で移動を始める。
その光景をじっと眺めていた優は、慌てたように華の後を追った。
「ちょっと待って、華ちゃん。亡霊はどうするの?」
「どうもしないよ。早く命令通りに戦闘区域からの離脱しないと。出来るだけ多くの中隊員を拾いながら最短ルートで突破しよう」
華の声を掻き消すように、亡霊の咆哮が響いた。
霧の中、あちこちから亡霊の咆哮が木霊する。
「篠原、待て。何を考えてる? 囲まれてるんだぞ」
凛が後ろから走ってくる。
「先輩! 後ろ!」
麗の悲鳴。
霧の中から、五体の亡霊がぬうっと姿を現した。
「上空もさ、結構やばくない?」
京子が諦めたように笑いながら言う。
見上げると、数十体の影が空を埋め尽くしていた。
「篠原、見ろ。やるしかないんだ」
凛が前に出て、注射器を取り出した。支給物資に入っていた医療用ナノマシンだった。
彼女はそれを自らの腕に打ち込むと、大きく駆け出した。
霧の向こうの亡霊に至近距離からのESPエネルギーを叩き込み、まとめて吹き飛ばす。
それを合図に、上空の亡霊が一斉に高度を下げてきた。
優も迎撃のために腰を落とし、両手を上空に向けてESPエネルギーを練り上げた。
同時に、周囲の中隊員からESPエネルギーが膨張する気配。
周囲から放たれた複数のエネルギーの塊が霧を切り裂いて、上空の亡霊を撃ち落としていく。
「上空は無視していいよ。地上の亡霊だけを狙って突破しよう」
華が地面を蹴って、銃撃を加えながら一点突破を目指し始める。複数の少女がそれに続いた。
せっかく合流したのに、それぞれがバラバラに動き出していた。
「白崎さん、僕達も下がらないと!」
上空の亡霊を抑え込もうとしている凛に声をかける。
しかし、彼女は動かなかった。
「白崎さん!」
聞こえていないのか、彼女は高出力のエネルギーを無差別に放ち、周囲の亡霊を一掃していく。
今まで見た中隊員の中で、明らかに異質な戦い方だった。
一般的な中隊員が銃撃による各個撃破をするのに対し、凛は空間ごと飲み込むような高出力のエネルギーで面ごと制圧していた。
それでも殲滅しれきない量の亡霊が、霧の中から次々と飛び込んでくる。
数十どころではない。数百の亡霊が霧の中に潜んでいるように見えた。
「白崎さん! 駄目です!」
凛にならって高出力のESPエネルギーをがむしゃらに放ち、近づいてくる亡霊を吹き飛ばす。
それでも間に合わない。
周囲を囲む亡霊の数が、どんどん増えていく。
無理な攻撃で体内のESPエネルギーが枯渇していくのが分かった。
「桜井くん、早く下がって!」
華の叫び声。
増え続ける亡霊が包囲網を縮め、優と凛を飲み込み始める。
もはや、他の中隊員の身の安全を気にする余裕などなかった。
亡霊が跳躍してすぐ目の前まで飛んでくる。
死神のような、虚ろな赤い瞳が目の前にあった。
咄嗟に右手にESPエネルギーを練り上げ、突撃槍の形をなしたエネルギー体を作り出す。
優はそれを力の限り振り抜いた。周囲に接近していた三体の亡霊が消し飛ぶ。
そこで限界が訪れた。
ESPエネルギーの使いすぎか、目眩とともに力が抜ける。
気づいた次の瞬間、優はその場に跪いていた。
視界が霞み、意識が途切れかける。
目の前で壮絶な防衛戦を維持する白崎凛の背中が、亡霊の群れに呑み込まれていくのが見えた。
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