源静流の庭園 01話

「昔話をしましょうか」
 庭園の池で鯉に餌をやっていると、後ろから凛とした声が聞こえた。
 白(はく)は餌をやる手を止めて、後ろを振り返った。長い黒髪を後ろで結った源静流(みなもと しずる)が立っていた。
「遥か昔、私達は広い土地を持っていた。肥沃な大地で様々な穀物を育て、皆でそれを分け合って生きていた」
 何度も聞いた話だった。
 静流はこうして事あるごとに昔話を語るのが好きだった。
 白は既に暗記してしまったその続きを口にした。
「でも、争いが起きた。仲良く出来ない人間たちに雨神様(あまがみさま)は大層お怒りになった。大雨で大地は流され、山には物の怪が解き放たれた。人は住処を失って、山奥でひっそりと暮らすようになった」
「そう。雨神様は今も人間に対してお怒りだわ。だからお祈りが必要なの」
 静流はそう言って、白の頭をそっと撫でた。
 白は残りの餌を池の中にばら撒いて、それから頭一つ分身長が高い静流を見上げた。
「もうお祈りの時間なの?」
「ええ。さあ、片付けて」
「うん」
 静流の言う通り餌箱を巾着に入れて、それから膝をついて両手を合わせる。
 静流は微笑むと、白に向かい合うように膝をつき、同じように両手を合わせた。
「雨神様。雨神様。天高く築くその御身。我ら十二族、八の形。輝く標に感応致します」
 静流が唄うように祈りの言葉を紡ぐ。
 風が吹き、静流の後ろで結った髪がさらさらと揺れた。
 空を見上げると、雲間から太陽が顔を出すところだった。
 陽光が庭園を照らし出し、白は目を細めた。
「食事にしましょう。中に入りなさい」
「うん」
 静流が立ち上がり、屋敷に向かって歩き出す。白もその後に続いた。
 縁側で履物を脱ぎ、室内に入る。食卓には既に静流が用意した昼食が並んでいた。
「さあ、雨神様の情けに感謝して頂きましょう」
 静流が背筋を伸ばし、汁物を啜る。
 白は小さく目礼した後、静流を真似するように汁物を啜った。
 それから揚げられた山菜に箸を伸ばし、口に含む。しゃりしゃりと小気味いい音が響いた。
「どう? 美味しい? 今日はたらの芽とうどが見つかったの。私はこの2つが大好物なのだけれど」
 山菜を食べる白を、静流が優しい眼差しで見る。
「うん。美味しいよ。昨日のふきの炊き合わせも良かったけど、僕は今日の方が好きかな」
「そう? 群生しているところを見つけたから、これなら明日も用意出来ると思うわ。楽しみにしていてね」
 白は食事を止めて、にこにこしている静流をじっと見つめた。
「静流さん」
「なぁに?」
「山菜採り、明日ボクも一緒について行ったらダメかな?」
 途端、それまで機嫌の良かった静流の表情が一変した。
「いけません」
 表情が消え、感情の見えない双眸が白に向けられる。
 それから、いつもの説教が始まった。
「白。あなたの名前には、決して穢れないもの、という意味が込められているわ。この名にはお怒りになった雨神様から貴方を守る術が施されているの」
 知っている。
 何度も聞いた話だった。
「外には物の怪が大勢いるわ。大昔に雨神様が解き放った軍勢よ。白、あなたはこの庭園を出てはいけないの。あなたは穢れてはいけない。外に出るのは私の仕事よ。白はこの屋敷で私の帰りを待っていれば良いの。そうしなければいけないの。そうする事が、十二族で決められているの」
「ごめんなさい。でも、静流さんの役に立ちたくて」
 そこでようやく、静流の顔に表情が戻った。
 柔らかな笑みを浮かべて、彼女は首を横に振る。
「白。あなたの気持ちは嬉しいわ。心配してくれているのね。でも決して外に出ようなどと考えてはいけないわ。山には恐ろしい結界と呪いもあるの。絶対に出てはダメよ」
「うん。ごめんなさい」
 頭を下げると、静流はそれ以上何も言わなかった。
 静かに食事を再開し、山菜を咀嚼する。
 庭園からコマドリの鳴き声が聞こえた。
 庭園に目を向ける。雨神様の機嫌が良いのか、暖かな陽光が庭園を照らし出していた。
 それからふと疑問に思った。
 外を自由に飛んでいるコマドリは、どうやって物の怪や呪いから身を守っているのだろう。
「手が止まっているけれど、もしかして食欲がないの?」
 静流の心配そうな声。
 白は静流に向き直って、心配させまいと首を横に振った。
「ううん。外がいい天気だから見てただけ」
 そう言って、ご飯を口に運ぶ。
 先程頭に浮かんだ小さな疑問は、いつの間にか溶けて消えてしまっていた。


戻る
トップへ
inserted by FC2 system