源静流の庭園 03話

「カイコの成虫には口がないの」
 庭園で腰を下ろし、空を見上げていた時だった。
 いつの間にか隣に立っていた静流がいつものように長話を始めた。
「口がないなら、どうやって食事するの?」
「できないのよ。そのまま飢えて死んでしまうの」
 静流はそう言って、隣に腰をおろした。
 よく見ると、その手には羊羹の乗った小皿があった。
 静流が一切れをつまみ、白の口元に差し出す。
 なされるがままに口を開けると、羊羹がそっと押し込まれた。甘みが口内に広がっていく。
「美味しい?」
「うん」
 静流は微笑んで、それからもう一切れを自分の口に運んだ。
「カイコガはね、こうやってものを食べる事ができないの。短ければ数時間で死んでしまうわ」
「数時間?」
「そう、数時間。カイコは糸を取るために長い年月を人間に管理されて生きてきた。すでに種として人間に依存してしまっているの」
「カイコたちは、空を飛ぶために羽化するの?」
 静流がクスクスと笑う。
「カイコガは人間が品種改良を繰り返したせいで空も飛べないのよ。ただ生殖するために羽化して儚く死んでいくの」
 静流の手がそっと白の手に重なった。
「白」
「うん」
 静流の顔がゆっくりと近づく。
「それはとても大事な事なのよ。あらゆる生き物が、つがいを見つける為に命を投げ出していく。生きる目的は、そこに集約されていく」
 白には静流の言おうとしている事が、よくわからなかった。
 首を傾げると、静流は優しく微笑んだ。
「白は確か、今年で十四を数えるわね」
「うん」
「もう少しで分かるようになる。いいえ、時が満ちれば私が教えてあげるの。ほんのもう少し未来よ」
「静流さん?」
 話が見えない。
 静流は薄い笑みを浮かべたまま、小皿に残った羊羹を手に取った。
「白、口を大きく開けて」
 言われた通りに口を開けると、羊羹が優しく放り込まれ、静流の細く長い人差し指がそっと唇を撫でた。
「白もたくさん食べて、羽化するのよ。大丈夫。人間はカイコガのように短命ではないから」
「そしてつがいを探すの?」
「白には私がいるでしょう。その必要はないわ。大事なのはその先」
 静流はじっと白の瞳を覗き込む。彼女の瞳の奥で、何かが蠢いていた。
 静流が怒っているようにも見え、白は僅かに怯えた様子を見せた。
「その先?」
「そう。次を紡ぐの。源の家が永遠に、十二族が永遠に続くように」
「永遠に」
「そう、永遠に。私たちはカイコガじゃない。終わってはいけないの」
 そのために、と静流は言葉を続けた。
「今の十二族が作られたのよ。全てはその為だった」
 重なった手の指先が絡められていく。
「その為?」
「そうよ。私は全てをそれに賭けたの。この庭園はその最たる象徴」
 沈黙が落ちた。
 気安く触れてはいけない話題のように思えた。
 静流は独自の挟持と何らかの確固たる意志を持っている。
 それは、白が触れるべきものではないように思えた。
「カイコガの話はこれでおしまい。さあ、洗い物をしないと」
 空になった小皿を持って、静流が立ち上がる。
「ごちそうさまでした」
 声をかけると、静流は最後に振り向いて優しく笑った。


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