源静流の庭園 06話

 たまに夢を見る。
 知らない人たちが出てくる夢だ。
 何人もの大人が出てきて、白はどこかの屋敷でその人たちと食事をとっている。
 記憶にない世界と、記憶にない話。
 何故、そんな夢を見てしまうのか分からない。
 ただ、起きた後、とても懐かしい気持ちになってしまう。
 暗闇の中、白は半身を起こして目を拭った。
 暫く夢の余韻に浸った後、そっと隣の静流を起こさないように立ち上がった。
 廊下に出て、それからふと外を見る。窓の向こうで月光が庭園を照らし出していた。
 玄関にまわり、そっと靴を履く。
「どこへ行くの」
 後ろから冷たい声がした。
 振り返ると、暗い廊下に静流が立っていた。
「眠れないから散歩しようと思って」
 白の言葉に、静流は微笑んだ。
「そう。なら私も付き合うわ」
 玄関に足を進めた静流を月光が照らし出した。彼女の美しい双眸が暗闇で煌めいた。
「足元、引っかからないようにね」
 玄関口の段差を乗り越えながら、静流が白の手を取る。
 白は頷いて、彼女の後を追うように外へ出た。
 夜行性の虫の鳴き声が澄んだ夜空に響いている。
 静流は白の手を握ったまま、池の方へ足を進めた。
 ちゃぽん、と鯉の泳ぐ音がした。
 彼女は近くの石へ腰を下ろし、白もそれにならって隣に座った。
「かつて、満月は人を狂わせると言われていたわ」
 月を見上げながら、静流が語り始める。
 それは白がまだ聞いたことのない話だった。
「西方に位置する島国では、それにならって月狂条例というものが施行されたの。精神に異常をきたした人を隔離する為の掟よ。100年と少し前の話。そして、今でもその掟は続いてる」
「隔離って?」
「他の人と接触できないように閉じ込める事よ。人間が大勢いた頃はそうやって他の大多数を守っていたの」
「誰も会えないって事? じゃあ、それって――」
 白は冗談のつもりで口を開いた。
「――今の十二族とか僕たちみたいだね」
 冗談のつもりだった。
 しかし、空気が変わった。
 静流の顔から表情が消えた。
 月に照らされた彼女の横顔は白く、血が通っていないように見えた。
 庭園に響く虫の鳴き声が、ぴたりと止んだ。
「今の、十二族みたい」
 静流がゆっくりと、白の言葉を反芻する。
 白は何も答えなかった。
 今の静流に触れてはいけない気がした。
 見ると、静流は静かに笑っていた。
 声もなく、月光の中で口元が吊り上げっていた。
「白」
 ひどく抑揚のない声だった。
「あなたは時々、とても鋭い事を言うのね。それが私にはとても面白いの。そう、面白いの」
 静流の瞳が、大きく開いていた。
 暗闇の中、白の表情を観察するように彼女がゆっくりと顔を近づけてくる。
「ねえ、白。既に私は気が触れてしまっていて、この屋敷に隔離されているのかもしれないわ」 
 でもね、と静流は言葉を続けた。
「それが本当だと仮定して、外の世界はまともだと言えるのかしら。全くの反対かもしれない。まともなのは私達二人だけかもしれない」
 だって、と彼女は空を見上げる。
「綺麗な丸いお月様。今日は何の月だったかしら」
「皐月、だよ」
 白が短く答えると、静流は満足そうに頷いた。
「そう、皐月だわ。月によって私達は時間を規定する。指定する。でもどうかしら。遥か昔、人々は曜日という作り物に縛られていたのよ」
「曜日?」
「そう。7日間を一周とする数え方。そうしたかっただけ。そうした方が都合の良い人がいただけ。でも、それが大衆を支配していたのよ。大勢の人間がいた太古の世界は、そんな良くわからないものを中心に生活を組み立てて動かされていた。狂っていると思わない?」
 白には話が理解できなかった。
 そんな作り物で生活が動いていくという道理が分からなかった。
 静流の思考が飛び、次々と話題が変わっていく。
「全てが不完全な世界だったのよ。でも皆がそれをまともだと信じていた。私よりも遥かに、世界の方が先に狂っていたの。それだけは確かよ」
 静流の大きく開いた瞳が、月光で煌めいた。
 白は独白を続ける静流をじっと見守る事しか出来なかった。
 彼女はたまに、雨神様以外の何かが世界を壊したように言う。雨神様よりもっと大きい存在があったように聞こえる時がある。
 静流は上公巫女として、呪いの根源的な何かを知っているような気がした。
「静流さん」
 太古の世界を語り続ける静流に、声をかける。
 静流の動きが止まり、開いていた瞳孔がゆっくりと元に戻る。
「なぁに?」
 いつも通りの優しい微笑みを浮かべる静流の袖を引っ張って立ち上がる。
「戻ろう」
「ええ、そうね。話し込んでしまったわ。戻りましょうか」
 静流が立ち上がり、それから最後に空を見上げた。
「月が綺麗ですね」
 彼女はそれから一人でころころと楽しそうに笑い声をあげた。


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