源静流の庭園 07話

「それじゃあ、暫く留守を頼んだわ」
 玄関口で、支度を整えた静流はいつものようにそう告げた。
「うん。気をつけてね」
 白は頷いて、小さく手を振った。
 静流が引き戸を開き、玄関に陽光が差し込む。
 外はよく晴れており、温かい風が頬を撫でた。
「日が暮れるまでに私が帰らなかった場合、雨神様にお祈りを捧げること。物の怪に見つからないように決して屋敷外に出てはダメよ。家の中で物音立てず、静かに夜をやり過ごすの。わかった?」
「……うん」
 小さく返事をすると、静流は身を屈み白の顔を覗き込んだ。
「雨神様。雨神様。十二族、八の形。安寧の標、感応の印、ここに刻む事をお許し下さい」
 上公巫女として祈りの言葉を呟く静流に、白も復唱した。静流が満足そうに頷く。
「これで大丈夫。さあ、良い子にしているのよ」
 静流が引き戸から出ていき、扉を閉める。
 今日は十二族会議の日だった。
 書物や食料の交換の為に十二族が集まる日。
 上公巫女の立場にある静流は、こうして度々他の十二族との交流に顔を出している。白は物の怪に対して何ら対抗手段を持たない為、静流のように外を出歩く事は出来ない。
 白はぼんやりと玄関を見つめた後、踵を返して居間へ向かった。
 そっと畳に寝転がり、天井を見つめる。天井のシミが人のような模様になっており、そこから物語を考えるのが白は好きだった。
 天井のシミたちが、空想の中で激しい合戦を始める。静流が何度も語る戦が丘の戦いだった。
 皇と幕府の戦い。
 白はそれを良く知らない。静流の語る物語から断片的に想像して、それを繋げるだけだ。
 戦いは、すぐに終わりを迎える。雨神様の神罰により大雨が降り、大地は海へと流されていく。
 人々は山へ逃げ、そこで十二族として散らばって生きる事になった。源の家はその中で第八の形と呼ばれ、霊力に恵まれた家系として十二族の巫女を取りまとめている。しかし男児である白に霊力はなく、静流のように自由に外へ出る事も叶わない。
 空想の戦争はあっという間に終わりを告げ、後には天井のシミだけが残された。
 静流がいないと話し相手もいなくて暇だった。
 身を起こし、外の庭園を眺める。
 日差しが強く、夏の到来を予感させた。
 しばらく庭園を眺めてから、そっと立ち上がる。
 陽光に誘われるように縁側へ出ると、心地良い虫の鳴き声が届いた。
 いつも通りのゆるやかな日常が流れていく。
 そのはずだった。
 しかし現実は違った。
 聞こえるはずのない声が聞こえた。
 人間の声だった。
 驚いて声の聞こえた方向を見る。
 錆びた門の向こう側に人影があった。
「すいませーん。源さん、お話良いですか」
 低く、くぐもった声だった。
 見たこともない服装の男が、門の向こうから白を呼んでいる。
 白は予想外の展開に動揺して、ただ男を見つめる事しか出来なかった。
「源さん? すいません、すぐに済みますんでお時間ください」
 焦れたように男が大声を張り上げる。
 白は素足のまま縁側から降りて、男の方へゆっくりと足を踏み出した。
 心臓が早鐘のように打っていた。
 状況が理解出来ないまま、門を盾にして男と相対する。
「源さん、すいません。お姉さん在宅ですか?」
「……静流さんは、十二族会議に出ています」
「はあ。いつ頃戻られますかね?」
「……夕刻までには戻る予定ですが、物の怪が出ればどうなるか分かりません」
 男は何か言おうとした後、白の足元に目を向けて顔をしかめた。
「足、大丈夫ですか? 怪我しますよ」
 白は何も答えず、まるで正体が見えない男を警戒するように睨んだ。
 一見すると人のように見えるが、人ならざるものかもしれない。
 そうした物の怪がいるのだと、静流から教わった事があった。奴らは人に化けるのだ、と。
「あのー、本題なんですが、子供を見かけませんでした? 男の子三人なんですが、昨日から山に入った後帰ってきてないんですよ。この一帯は源さんの家くらいしかありませんし、何か知っていればと思って」
 話が見えない。
 男が何を言っているのか理解できなかった。
 黙り込む白に、男が困ったような笑みを浮かべる。
「あのー、源さん? 3人とも小学4年生の男の子なんですよ。見てないですか?」
 人など見るわけがなかった。呪いの中、子供が出歩くわけがない。
 男の話は支離滅裂で、理解不能なものだった。
 白は一歩後ろに下がり、男を油断なく見渡した。
 黒色の帽子に、何らかの刺繍が施されている。服も同様に黒で染め上げられ、見たことのない形をしている。
 少なくとも十二族ではなさそうだった。
「あー、すいません。名乗ってませんでしたね。私、麓の交番に勤めている桑木野と申します」


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